
そこが桑名城址だった。
関ヶ原合戦の後、大阪方に備えて本多忠勝が入城している。
海道の名城と云われていたが、朝敵だった桑名藩は焼き払われ今は櫓跡、石垣、
土塁が残っているだけだ。
本丸、二の丸を見て、もとは三の丸だった広場に出る。揖斐川に沿って歩いていたら舟入門があって、ここは藩主が船で出入りしていた所だった。
復元された蟠龍櫓を過ぎたら「七里の渡跡」があった。
むかしの花街あたりはハマグリ料理店が多い所で、ふつうなかなか行けない
場所でどうするか?
かなりお高くて空腹だったけれどゼイタクをいっていられない、素通りしただけ。
弥次さん喜多さんもこんな旨いものはないなあと焼き蛤を肴に一杯やったようだ。

徳川四天王のひとり、本多忠勝公

城址碑

本丸跡

二ノ丸堀

本丸から二の丸方面

三の丸跡

三之丸堀の向こうに舟入門

復元された蟠龍櫓

外堀は漁船の船溜まり

外堀

七里の渡跡

七里の渡跡

桑名城縄張り図