
城内へ入って行くと井戸跡があるので一応覗いてみる。
構造は三の丸、二の丸、本丸、東出丸と尾根に上がると見晴郭があるが見通しは
きかない。東出丸から北側をのぞくと、断崖絶壁でここに城を築いたわけが分かる。帯曲輪はイメージとは違ってまだ整備中だった。
北の尾根を行くと左右は50度はあるだろうか、急斜面という地形で二重の堀切が造られていた。その先は人が来るような所でもなさそうだが、ヤブの斜面を上がると
平坦な所に出る。
見晴らしも何もなく頂上はその先で、気になるから上がってみたいが、薄暗くて来たルートを戻るつもりだったが、東の尾根を下ってしまってどーもおかしい。途中で引き返した。
久々利氏の家紋は土岐一族の桔梗紋、かっては室町幕府の奉公衆だった。本丸
から見下ろすと武家屋敷があった所は今は民家があるだけだ。
東美濃は武田と織田が攻防を繰り返し、山城が多い所でひとつひとつ訪ねてみたい。

久々利城の縄張り


城内に入ると石積みの井戸がある

二の丸から本丸

二の丸から上がると正面に東出丸

本丸跡

本丸から二の丸、三の丸

東出丸と帯曲輪

東出丸から本丸

久々利城跡城守隊により整備中

一つ目の堀切

本丸の南東に武家屋敷があった