瑞浪の駅裏に出て耳ノ木神社の前を通り、街道をしばらく歩いて行くと国道に出てしまって、車がブンブン走っている。
イヤになってもう戻ろうかと思ったが、手前の岩屋不動の入口から右の道へ入って
みることにした。
中央自動車道の下に石碑が置かれていて、見ると赤城の山に立てこもったあの
国定忠治の碑だった。こんな所に忠治の碑があるとはどうも考えにくい。

その先は行止まりで、帰りがけに民家の間に細い道が続いているのが気になる。
小さな遊園地があって、せっかくの遊園地だが荒れ放題で今は使われていないようだ。
ついでに裏山へ上がってみるとゴウゴウという車の音が聞こえてきて、中央自動車道に出た所で終わりにした。公民館の近くでシランと一緒に明るい感じの花が咲いていた。ランの種類だろうか名前は分からなかったけれど、この道へ来て良かったなあ。

小腹は減ってきてもう13時だ、駅前の食堂に入りカツドンを注文、評判どおりのお店だった。


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下街道瑞浪地区

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珍しい名前の耳ノ木神社

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民家の前に常夜燈

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街道沿いに大木が残っていた

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岩屋不動に向かうと

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国定忠治の碑

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「赤城の山も今宵限り・・・」の名セリフ

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街道の裏手に「さばやま遊園地」

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中央自動車の横断橋に出る

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シラン

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名前は分からなかった

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名物のカツドン だれが食べても旨い
2017.06.12 Mon l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top
先日出会った古老の話を思い出して、下街道がどんな所か歩いてみよう。むかしは神明峠を越えて多治見まで荷を運んだそうで、これが昭和11年ころの話。

子供のころは土岐川が水泳場で、泳ぎ疲れたら岩の上で甲羅干し。「戦争中はいろいろ大変だった」「そうでしたか、叔父は大和に乗ってました」

坂道を上がって行くと車一台がやっと通れるくらいの狭い道で、四つ辻に下街道の
案内板がある。神明峠付近は東海環状自動車道で分断されてしまって切れっぱしが残っているだけだ。周りは工場や民家ばかり。

恵那山、中央アルプス、御嶽山を眺めながらしばらく上がって行って中山神明神社に出る。名所案内によると下街道の難所だった所で、明治2年には打ち壊し事件
が起こり、その集合場所がこの神社だった。

境内に藤棚が造られていてゴールデンウイークの頃が最高だろう。下って行ったら
国道19号、車がビュンビュン走っていてここで諦めることにした。

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四つ辻に下街道の案内板

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東海環状自動車道の向こうに丸山

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峠から土岐川と

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中央アルプス

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神明神社の鳥居をくぐり境内に入って行く

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中山神明神社

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本殿

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峠を下る

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道の左右に常夜燈が置かれている

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下って行った先はR19
2017.03.23 Thu l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top
展望台に上がったら良く見えるだろうと、中津川へ行ったついでに根の上高原
へ行った。手賀野古道の案内板があるのが気になって入ってみたら馬頭観音が置かれていて、古道らしい道が続いている。

下の方は荒れた道になってきて人があまり来ない所のようで、雨や雪で崩れてしまって足場が悪い所もある。時間が大分かかってしまったが、苔むした岩でいっぱいの
天然の庭園みたいな所に着いた。

日本庭園を想像するから手賀野苔庭とでも名前をつけておこう。ここで小休止。
帰りの登りが大変だろうからやめようと思ったが、道が無くなっていたら引き返せば
いいということにして、とにかく下って行けばどこかに出られるはずだ。

県道に出たら根の上高原登山口だった。来た道を戻ったが、もう展望台へ行く気も
なくなって下山。


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展望台の手前に手賀野古道の案内板

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手賀野古道に入り下って行く

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馬頭観音が置かれ、古道らしい雰囲気

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斜面に苔むした岩がゴロゴロ

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崖の上に大横手観音

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手賀野古道を下って行くと

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根の上高原登山口  
2017.03.08 Wed l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「左 中山道西の坂」の碑から坂を上がった所に「秋葉坂の三尊石窟」や「鴨之巣道の馬頭文字碑」がある。

それを過ぎたら平らな道になって三叉路に出ると鴨之巣辻の道祖神と旧鎌倉街道
まで一里の道標があった。鎌倉街道まで行ってみたいと思ったが、これは次に来た時にしよう。
指導標を見るとクマの出没情報、出てこられても困るが今は冬眠しているはずだから心配はない。
「鴨之巣一里塚」から先は当時の雰囲気が良く残っている気分のいい所で、ドンドン下っていくと殿様も泊まった「山内嘉助屋敷跡」に出て、家の跡には石垣が残っているだけだった。
ここまで下って来ると久しぶりの人家、津橋の集落が見えてきた。道の観音が置かれているくらいでシーンとしている。初めて出会った古老からあれこれ話を聞かせてもらった。
「むかしは造り酒屋もあった」「春先には外国人も多いよ」。謡坂を越えて中山道が
続いているが帰りの行程を考えると、こんなことではダメだが引き返した。


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「左中山道西の坂」から歩き始めた

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秋葉坂の三尊石窟

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馬頭文字碑から少し上がった所にあった

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鴨之巣辻の道祖神と旧鎌倉街道の道標がある

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指導標にクマ出没注意

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むかし村人が強盗に切られたという切られ洞と過ぎると

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鴨之巣一里塚

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道の左右両側に残っている

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津橋へ下って行くと

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藤上坂の馬頭観音がある

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山内嘉助屋敷跡の石垣

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津橋の集落が見え始めた

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集落に入って行く
2017.01.12 Thu l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top
権現山は刈安城があった所で、どうせ歩くなら山城も見てみたい。案内板を見ると高札場や深萱立場跡など行ってみないとどんな所か分からないので出発前に寄ってみる。

立場跡は注意して見ないと見落としてしまうかもしれないくらいだった。三ツ城峠にはむかし老婆が店番をしていた「ばばが茶屋跡」がある。

古い話だが上州三日月村の木枯し紋次郎が歩いていた時代にタイムスリップした
気分で、どこだったか紋次郎スタイルが好きなオジサンに出会ったことがあった。

大久後の集落を過ぎたら刈安神社の入口、参道は急だがキツイのはせいぜい20分くらいだから休み休み上がって広場に出る。

神社社殿の裏手が刈安城があった所で、烏帽子岩を廻り込んだ先に本丸、曲輪、
堀切が見られたが小さな山城だった。

もうちょっと行くと大湫宿だが今日はここまででもう引き返そう。帰りはほとんど下りだから楽なもので往復3時間ですんでしまった。

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深萱立場跡案内板

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旅人の休憩所だった深萱立場

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藤村高札場

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民家の前でこちらをジッと見ていた

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石畳を上がると三つ城峠

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ばばが茶屋跡

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三つ城峠を下る

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クマ出没注意だが、こちらから何もしなければ心配ない

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観音坂

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大久後の集落

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刈安神社入り口から

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参道を上がって行く

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刈安神社

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烏帽子岩の裏手が刈安城址

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曲輪から本丸方面
2016.10.02 Sun l 街道 l コメント (3) トラックバック (0) l top
ずっと前に琵琶峠へ行ったことがあったが、見落とした所や雪山も見えるかもしれないと東の登り口から上がって行くと、ゆっくり歩いても30分もあれば着いてしまう。

峠の手前から高みに上がってみたが見晴らしは良くない。思ったより狭い峠で、皇女和宮歌碑や馬頭観音が置かれている前を通り、古い話だから知らない人も多いと思うが中村敦夫主演の木枯らし紋次郎も通った石畳を下って行くとお椀を伏せたような一里塚が見えてきた。

高さは4~5mくらいでかなり大きい。側に当時のノミの跡が残っている岩がころがったりしていて、これは見落としていたのだろう、ぜんぜん覚えていない。

たしか紋次郎の格好で歩いていたオジサンがいたのを思い出したが、原作者は誰だったか。西の登り口に出て展望台へ上がってみると初めて伊吹山が見えた。

東海自然歩道を下って県道をグルッと廻って戻る。大湫コミュニティセンターの裏手に本陣山があるからいつか行ってみよう。

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琵琶峠東の登り口

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石畳の道を上がって行く

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上がってみたが樹が育っていて見晴らしは良くない

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琵琶峠にやって来た

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皇女和宮歌碑

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八瀬沢の一里塚

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岩にノミ跡が

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まだ冬眠しているハズだから心配ない

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伊吹山
2016.02.13 Sat l 街道 l コメント (2) トラックバック (0) l top
下街道ガイドマップを見て現場に行ってみると「現在、特定できない又は通行不能」では民家や田畑でこの先がどうなっているのか、分かる所から歩いてみようというわけで肥田川沿いから歩き始めた。

土岐川との合流地点の手前に肥田川の渡し跡があって、むかしは旅人で賑わっていたのだろうが今は目印の松が植えてあるだけだ。

渡し賃は1人ニ文、水量により割増しもあったそうだ。薬師堂に寄り道して和合橋まで行って戻るつもり。土岐川に向かって下りて行くと山側に馬頭観音が置かれていた。

道標を探して辺りをキョロキョロしながら歩いていると、二つ目の馬頭観音と道標を見つけた。この辺りが土岐川の渡しがあった所なのだろうが、何もないからどうにも分からない。
ついでに野鳥を追っかけながら3時間は歩いた。

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三本松(肥田川の渡し)

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和合橋

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馬頭観音(和合)

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馬頭観音(庄の平)

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文化××と彫られていた

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道標(庄の平)

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土岐川の渡し

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トリミング処理 ジョウビタキ♂

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カシラダカ

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カワアイサ♀ 頭の毛がボサボサ

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カワアイサ♂

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ツグミ
2016.02.05 Fri l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top
R363号線沿いに「筋金蔵ヶ峯」という変わった名前の所があって、看板を見るとこの先の柿野宿が美濃と尾張の境だったらしい。

峰と言うよりチョットした峠で、今は車がブンブン走っている。中馬街道の案内板からグランドを通って下って行くと道端に道標や石仏、馬頭観音が置かれていた。

どんなものでも見つかればこれがそうだったのかとケッコウ楽しいものだが、その先は林道や農道で分断され、案内板も無いからどうも分からない。

こんなことなら下調べをしておくのだったがこれは出直した方が良さそうで引き返した。
この地区も少子高齢化が進み、むかしは子供たちで賑わっていたそうだがとうとう曾木小学校、鶴里小学校が2015年3月に閉校となって誰も居なくなった。
鶴里小学校の校庭に入ってみたら、二宮金次郎像がポツンと立っていただけだ。


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今の中馬街道筋金蔵ヶ峰

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グランドから下ってみると

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ようやく石仏を発見

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馬頭観音のところまでであきらめて引き返した

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閉校となった曾木小学校

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明治6年創立の鶴里小学校も閉校となった

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全国の学校にあった二宮金次郎像、最近は見かけなくなった 
2015.07.02 Thu l 街道 l コメント (2) トラックバック (0) l top
中街道・柄石峠は地図にも載っている。今日は新人の I さんも一緒だ。新人といっても地元○○会社のOB。

平均年齢はウオーキング仲間としてはかなり高年齢になるが、とにかく三人揃って出発。見慣れた園戸池の続きで、林道を上がって行って尾根に出ると人一人がやっと通れるくらいの道だが急でもなかった。

三叉路に出たらこの辺りが柄石峠?下って行った先に柄石川が流れ、柄石地区に出てしまった。どうやら峠の石仏を見落として下ってしまったみたい。

民家のご婦人に聞くと「隣の石の上にあるよ」。どおりで峠付近を探してみても分からなかったハズだ。引き返して鬼岩公園に出る。万歩計はおよそ16,000歩と皆さん健脚だよ。

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三叉路に出たら中街道

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鬼岩方面の道標を見ながら

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中街道柄石地区

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薬師如来が祀られていた

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享和元年の文字がかすかに残っていた

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柄石川
2015.01.24 Sat l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top
久しぶりに中山道を歩きました。今の伏見宿は妻籠、馬篭宿と違い旧中山道を国道21号線が通り、当時の雰囲気はほとんど残っていなく訪れる人も見当らないが、むかしは年貢米などの船積み港として賑わった所だ。

国道沿いに「伏見宿本陣跡之碑」と「右御嵩 左兼山、八百津」の道標がある。伏見交差点まで来ると、一軒だけだが旧旅籠「松屋」が残っていた。千本格子の立派な商家だ。
隣のお休み処で熱いお茶とお菓子を御馳走になって、中山道ゆったり伏見宿の代表からいろいろ貴重な話を聞かせていただいた。

正岡子規が新村湊から船で松山へ向かい、あの有名な弥次さん喜多さんも泊まった伏見宿などなど。新村湊が見たくなって北へ向かうのだが探してみてもどこにあるか分からない。

あきらめて洞興寺の境内の入って行くと、塚のうえに沢山の石仏が祀られている。石碑を見ると「伏見宿で働いて哀れな死をとげた身寄りのない女達を葬った」とあった。

荷揚げ人夫などを相手にした飯盛り女が大勢いたのだろう。この辺りを美しい遊女達がそぞろ歩いたかもしれないが、今は「女郎塚」が残っているだけだ。


本陣之碑 
伏見公民館に本陣之跡碑


松屋 
旅籠だった松屋が残っていた 

 お雛様
寄贈された明治時代のお雛様


駱駝
幕府へ献上されるはずだった駱駝の画を見せてもらいました   


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右御嵩 左兼山 八百津と刻まれた道標


  行灯 一本松茶屋
伏見宿の行灯と一本松公園


洞興寺 
洞興寺


女郎塚 
女郎塚
2014.03.18 Tue l 街道 l コメント (0) トラックバック (0) l top